孤島の楽園西表島の誕生から歴史と人々の足跡と島の未来

沖縄県八重山郡竹富町に属する人口約2500人の有人島西表島。島を取り囲む東シナ海は、透明度も高く世界有数の景色が広がっている。

島の面積は、県内沖縄本島に次ぐ第2位であり90%が亜熱帯の自然林で覆われている。

海岸線付近以外は、ほとんど平地が無く人は住んでいない国有地である。

地場産業はというと、サトウキビ・パイン・マンゴー・米・野菜などの農作物と食肉用の牛の畜産も行われいます。

それ以外は、大自然を生かしたツアーや世界屈指のコバルトブルーの海でのスキューバーダイビングなど観光業が盛んである。

石垣島、竹富町内の離島を含む八重山諸島は年間多くの観光客が日本にとどまらず世界から訪れている。

シーズンのピークに時期には、多くの期間労働者も島に訪れるため、その時期には未登録の人口も増加する傾向にあります。

簡単では有るが今現在の島の状況はこのような感じである。

それでは、もう少し遡って調べられる範囲で島の歴史を紐解いてみましょう。

西表島に人が住みだしたのは、実際どれくらい前からなのでしょうか。これについては正確に残る記述は存在していないようです。

唯一の文献が当時の朝鮮半島に伝わる資料から発見されており、15世紀ぐらいの記述に西表に関する内容が記されている。

しかし、地層調査や集落跡などの調査により、それ以前にも人間の暮らしを彷彿と感じさせる跡も残っている。

現在でも残る、祖納集落や古見集落は島内でも少ない歴史が残る地域である。しかし、正確な資料はなく不確実な面も多くあります。

そういった島人による開拓も少なからず行われてきたはずです。

ところが、遥か昔の西表島は深い山の存在が、人々が暮らすためには不適合だったようであり、またマラリアによる被害が定住を妨げる要因になったのではないかと思われています。

このため、一時は作られた集落のようなものもマラリアによる人口減少の耐え廃村を余儀なくされた歴史もあるようです。今では医学の進歩により命の危険までは至らない病ですが、当時はとても恐ろしいものだったのでしょう。

そんな時代を繰り返す中、西表島を発展させていったのが、近隣の島や宮古島からなどの移住者である。

戦後、マラリアの被害も少なくなり要約人間の住める環境となり、多くの人々が島に移り住みます。

海岸線近くの土地を整備し、集落を形成していったのです。

前記述の二つの集落(祖納・古見)以外はほとんどが移住者により戦後に開拓されていったまだまだ歴史の浅い地域であるようです。

現在では県内のみならず、本土からの移住者もとても多く発展の途上を進んでいる。

古くから残る、沖縄独特の伝統や文化はそういったもの達で受け継がれていっています。

人が住む生活環境の変化のスピードはとても速く、定期船の確立に伴う人や物資の流れがそのような結果に繋がっているのでしょう。

人間が住みよい環境づくりや開発はどうしても仕方が無いところはありますが、同時に世界にも誇る西表島の大自然や貴重生物の存在をも大切にしていかないといけません。

これは現在島に住む人々やこの先移住してくる者、さらに観光などで島を訪れる人々の共通する課題になっていくことでしょう。