女性の節句、旧暦三月三日は浜でお清め手足を洗おう!

新暦では、3月3日はひな祭りで女の子の節句ですね。

多くの家庭で雛人形を飾り、お団子や雛あられなどを食べて、健やかな成長を祈願する行事で浸透していますね。

これは古く江戸時代から行われていた行事ごとだという記述が残っています。当然当時は太陰太陽暦、いわゆる旧暦の3月3日に毎年行われていました。

しかし、明治以降、新暦にこよみが切り替わると、今のように新暦のこの日に行うようになったのです。

では、旧暦に合わせた行事が今も数多く残る西表島はどのような内容で行われているのでしょう?

旧暦の3月3日の島の人々の一日の生活を見てみましょう。

この日は旧暦上、一年を通し潮の干満差が一番大きく、最干潮の時間帯になると浜からの海水は一気になくなり珊瑚や岩礁がむき出しの状態になります。

その自然現象を利用し島の人々は、取り残された魚やタコ・貝類・海藻などの貴重な海の幸を捕獲するため海岸を練り歩きます。

そして同時に浜にご馳走を持ち寄り、女性たちは手足を海水で洗い、身を清める行為を行うのです。

これを”浜下り”と呼び、女性にとっては大変重要な日になっています。旧暦の女子の節句の大切な行事です。

現在では、家族や親しい友人たちと共にご馳走を持ち寄り、ピクニック気分のような少し楽しく娯楽的な要素を含むイベントになっていますね。

また、確保した食材をそのままビーチでBBQ感覚で頂くといった光景も各地で見られます。

持ち寄る食材は、昔と現在は大きく違い、食生活の変化に伴い手軽な内容になってきたことは間違いありません。食べやすくお子様たちが喜びそうなお弁当のようなスタイルで持参することも多くなってきているようです。

では、遥か昔から行われていた浜下りですが、当時はどのようなものを浜に持参し食していたのでしょう。中身をご紹介していきましょう。

当時、浜下りの際に持参する重箱には、とても華やかな内容のものが詰められたとされています。やはり女性の節句という事もあり、仕込みをする女性たちにも力が入っていたかもしれませんね。これは私の勝手な予想ですが…。

しかも多くの記述を見てみると、四段一組の重箱が使用されていたようです。とても豪華ですね。

それぞれの段の中身の一例を挙げてみましょう。

一段目…結び昆布・ごぼう巻き・花いか・魚のてんぷら・かまぼこ・紅白の地豆
二段目…赤米おにぎり
三段目…三月お菓子(サングワチグワーシ)
四段目…ヨモギ餅(フーチムチ)
※()は島の呼び名・方言名

すべての家庭が上記の中身であったわけではありませんが、かなり内容に凝ったものが多かったようです。

いかに女性たちを大切にしていたかも伝わりますね。

おまけの話になりますが、海辺の砂に身を清める浄化的な存在とする考え方は、古くから各地にあり、寺院などに白砂を敷き詰めたりするのはその表れだったとされています。

南国の燦燦ときらめく太陽の下、女性や子供たちが楽しむ姿を想像するだけでなんだか楽しい気分になることができますね。