先祖も安心、親戚一同お墓の前で大盛り上がり清明祭!

清明祭、あまり本土では知られない言葉ですが、方言で”シーミー”と呼ばれています。

これは旧暦の3月初めごろに行われ、先祖供養の大変大切な年中行事です。

歴史としては、西表島を含む八重山地方よりも沖縄本島を中心とした離島で特に盛んに行われているようです。

沖縄全体では、先立たれた先祖をとても大切にする思想が強く、墓前で行う行事ごとも数多くあります。そんな中においても清明祭は特に盛大に行われる風潮があり、いかに重要視されているものかが理解することができます。

清明祭はもともと中国から伝わったとされています。いわゆる二十四節気の清明節に合わせて営まれるものである。

家族、親戚一同、子孫たちが墓前に集まり、日頃なかなか食卓に並ぶことにない豪華な食事や綺麗な花、島酒(泡盛)を持ち込み、歌や踊りで宴を開きます。

先立たれた祖先たちを前に、子孫たちの健康で不自由なく楽しく暮らす姿を見せることにより、安心してあの世で暮らしてくださいというメッセージも込められています。

また、今の自分たちの命があるのはご先祖様たちのおかげという事を認識し、心から感謝する大切な機会でもあるのです。

では、墓前に持参し宴会に華を添える重箱料理の中身を見ていきましょう。

こういったご先祖供養の祭のお重は4段お重が定番で、うち2箱には白いお餅を15個づつ並べ入れる。

そして、残りの2箱には御三味を9品入れる。御三味とは豚・にわとり・魚のことを指し、当時中国に伝わる三牲(神に供えるいけにえ)が起源とされている食材である。

また、料理の品数をなぜ奇数になるようにしているかは、こちら深いつながりのあった中国からの影響を受けていて、中国では大切な日取りや行いを奇数の日に合わせて行っていたようです。奇数は陽の数字として人々に理解されていたからです。

その御三味の料理の一例は、豚肉・紅白のかまぼこ・魚のてんぷら・昆布巻き・卵焼き等がきちっと詰められてたようです。

今の時代にとっては、なんでもない食材かもしれませんが、当時としては日常で食べる機会はほとんど無かった内容だと思われます。

また、重箱に各料理を詰める祭のルールのようなものもあったようです。ただ詰めるのではなく、重箱中央に昆布が来るように詰め、各料理をなるべく正方形になるように詰めていきます。

正方形の重箱に対し、9品分の正方形が中に形作られるようにしていました。

以前は各家庭で料理を用意する家庭が多かったですが、近年ではお店に頼んだり、オードブルを持ち込んだりと様変わりしてきた一面もあります。

時代も変化しますので、ご先祖様たちも細かくはこだわらないでしょう(笑)

この清明祭に関しては、島の人々にっとって寂しい行事ではなく、ご先祖様への感謝と繋がる一族の今後の繁栄を祈願するもので、楽しい宴であることは間違いありません。

新暦のおよそ4月ぐらいに行われますが、広い亀甲墓で人々が宴をする光景は、ちょっとした西表島の風物詩のような役割になっているのかも知れませんね。